升堂乳姑

唐の崔玉|官4419は字を從律といい、南山の節度使であった。曾祖母の長孫夫人は高齢のため歯が無かった。祖母の唐夫人は姑によく仕え孝行であった。毎朝階下で拝礼をしてから堂に登り、姑に自分の乳を飲ませた。長孫夫人が穀物を食べなくなって数年、健康であった。ある日、長孫夫人が病気になると、「娘の唐夫人の恩に報いる事がこれまで出来なかった。唐夫人には、子供もあり、孫もある。皆、唐夫人を敬って孝行を尽くすのだよ」と言った。この言葉を皆守ったため、崔玉|官4419の家は益々繁盛した。

許諾養姑

漢の陳孝婦は、十六歳のときに嫁いだ。夫が出征するにあたって、「私の生死がどうなるか分からないが、私が帰って来なかった時には私の母親を養ってくれるか」と尋ね、陳孝婦は「はい」と答えた。陳孝婦の夫は、戦死して帰ってこなかった。そこで、喪中に姑を養うために機織り、糸紡ぎを行った。陳孝婦の父毋は、娘が若くして未亡人となり、しかも、子供がいない事を哀れに思い、どこかに再婚させようとした。陳孝婦は「私の夫が出征するときに、姑を世話する事を私は許諾しました。姑が亡くなるまで世話でき無いのであれば、人に信用される事は無く、どうして生きていけましょうか。それくらいなら死んだ方がましです」と言ったので、父毋は驚いて敢えてよそに嫁にやる事をしなかった。姑を養う事二十八年になり、姑は八十歳余りで亡くなった。田畑や、屋敷を売り払い葬式を上げて死ぬまで祭祀を絶やさなかった。淮陽の太守がこれを聞き黄金四十斤を陳孝婦の家に下賜し、労役を免除した。陳孝婦は孝婦と号した。

冒刃救姑

唐の鄭義宗の妻の廬氏は非常に婦道を心得ていた。ある夜、強盗数十人が垣根を越えて家の中に侵入してきた。家の人は皆逃げていったが、ただ一人、姑だけが部屋に取り残されていた。廬氏は強盗の刃の下をかいくぐって姑の元へ行ったが、強盗の攻撃でほとんど死ぬ寸前であった。強盗が去った後、「どうして一人だけ恐れなかったのか」と尋ねられると、廬氏は「人が獣と違うのは、仁義を心得ているかどうかです。隣村で緊急事態があると急いで赴くでしょう。ましてや、自分の姑です。細かい事を考えている暇があるでしょか」と答えた。人々はその志しに感動した。

出汲拜姑

漢の鮑宣の妻の桓氏は、字を少君と言った。鮑宣は、少君の父親に師事したが、少君の父親は鮑宣の清潔な人格をめったにいない人物であるとして、娘の少君を鮑宣と結婚させようとした。少君の服装は非常に華美であったので、鮑宣は喜ばなかった。鮑宣は「少君は生まれつき金持ちで驕っています。私は貧乏で卑しいので、この結婚の話をお断りしたい」と言ったが少君は「父は鮑宣様は徳を修めて約束を守る事を喜ばしく思って私に木の櫛を使う様な貧しい生活を取らせようとしています。もう、結婚の約束はしてしまいました」といい、着ていた衣服や装飾品を取り去って父毋の元に返し、短い貧乏な人の着る衣服に着替えて鮑宣と共に鹿の引く車を引いて鮑宣の郷里に帰った。郷里に着くとすぐに姑に挨拶をし、瓶を下げて水を汲み婦人の道の修行を行った。鮑宣の村人はこれを褒め称えた。


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