坐懐不亂

魯の柳下惠は名前を獲、字を展禽といい、魯の貴族であった。遠くに出かけて帰ってくると街へ入るための門限を過ぎてしまった。そこで、門の外で寝ることとした。しばらくたつと、一人の女性がやってきて同じ場所で眠ろうとした。その晩はやたら冷え込み柳下惠は女が凍死するのではないかと危惧してその女性を足の間に座らせ自分の着物で覆ってやりあたためてやった。朝になり、淫らなことをしなかったので、従者も柳下惠の志の高さを喜んだ。

閉戸不納

魯に独り住まいの男性が住んでいる隣に、同じく独身の女性が住んでいた。ある夜、暴風雨になり女性の住んでいる部屋が壊されてしまった。女性は、隣の男性の家に入ろうとしたが、男性は戸を閉めて入れなかった。女性は、窓から「あなたには思いやりがないのですか。なぜ私を入れてくれないのです」となじった。男性は「私は、男女は六十前なら一緒にいないと聞いている。今、あなたも若いし、私も若い。だから入れないのだ」と言った。女性は「あなたは柳下惠の故事を知らないのですか。柳下惠は、街の門限に間に合わなかった女性を暖めて全く変な考えを興しませんでした。国中の人は乱れなかった柳下惠をほめたたえたそうです」と言った。男性は「柳下惠は堅物だったかもしれないが私はそうではない。私は、柳下惠の様にはなれない」といい、拒んだ。孔子はこれを聞くと「ああ、よいことだ。柳下惠の事を学んだ者はおおいが、この者のようになった者は中々いない」とほめた。

明燭避嫌

魯の顔叔子が夜一室にいると、大雨で隣家が崩れてしまった。隣家の女性は顔叔子の部屋に避難してきた。顔叔子は燃えさしを手に取り部屋を明るくした。燃えさしを薪に移して部屋を明るくしたまま朝方に至り、一度も淫らな考えをおこさなかった。顔叔子の貞節であることはこのようであった。

明燭逵且

蜀漢の關羽は字を雲長といい、勇敢で義を重んじていた。劉のために下丕|邑6588を守っていた。曹操は、下丕|邑6588を攻め落とし劉の妻を捕虜とした。君臣の区別を乱すことを目的として、捕らえた劉の妻を關羽と同じ部屋に閉じ込めた。關羽は嫌疑を避けるために明かりを手にして朝まで君主か父親にでも仕えるかのように立ったままでいた。

不易貴妻

後漢の宋弘は字を子仲といい、太尉の位に有った。時の皇帝の妹の湖陽公主が未亡人となったとき、皇帝は群臣と妹にはだれか好意を寄せている人がいるか協議した。湖陽公主は宋弘を「あの方は他の家来より威儀が立派で抜きん出ています」と言った。皇帝は宋弘の意を試してみようと思い、宋弘を引見した。その際、湖陽公主を屏風の後に座らせた。皇帝は宋弘に「諺に、金持ちになったら友人を替え、身分が高くなったら妻を替えるというが、これが人情と言うものだろうか」と言った。宋弘は「私はこのように聞いております。貧乏だったときの交遊を忘れてはいけない。糟糠の妻を妾に落としてはいけない」と言った。皇帝は湖陽公主に目配せをして、「叶わないな」と言った。

不棄瞽女

宋の劉庭式がまだ科挙に合格する前に故郷の人の娘を妻とする約束をした。約束は済んだが、まだ結納を行なう前に劉庭式は科挙に合格した。ところが、娘は病気になってしまい両目が見えなくなってしまった。娘の家は非常に貧乏で結納の贈り物を当てにしていたため、娘の妹を代わりの嫁として差し出すことを申し出た。劉庭式は、その提案を受け入れずこういった。「既に廃人となっている娘が結婚できなければ娘はどこにも帰るところがなくなってしまうではないか。ましてや、私は先にこの娘と結婚することにしていた。どうして初心を変えることがあろうか」劉庭式は、盲目となった娘を娶り、二人の子供をもうけて夫婦共に長生きをした。二人の子供は、相次いで科挙に合格した。同じような話では、周の恭叔が科挙に合格する前に、ある娘と結婚の約束をした。合格した後、娘は両目が見えなくなってしまったが、恭叔は娘と結婚し、娘を溺愛した。


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