哭竹生笋

晋の孟宗は若くして父親を亡くした。母は年取って重い病気にかかった。冬に筍汁を食べたいと言われたが、孟宗には筍を手に入れる方法が無かった。孟宗は、竹林に行き竹を抱えて泣いた。すると、天がその孝行を感じて、たちまちにして、地面から筍が出てきた。数本の筍を持ち帰って、筍汁を作って母親に食べさせた。その汁を食べ終わると、母親の病はたちまち治った。

滌親溺器

宋の黄庭堅は、元祐年間に大史となり、性格は非常に孝行であった。自分が偉い身分になっても母親に尽した。毎夕黄庭堅みずから母親の溲瓶を洗い、下僕達にやらせる事はしなかった。


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