戯彩娯親

周の老莱子は、非常に孝行であって両親に非常に柔らかく美味しい物を差し上げていた。七十歳になっても年寄りと自稱せず、五彩の非常に美しい衣裳を着て幼児の遊びを親のそばで行った。また、水をもって親の家に行き、わざとつまづいて地面に倒れて子供の泣きまねをした。親を楽しませた。

拾椹供親

漢の蔡順は若くして父を亡くし母親に仕えて非常に孝行であった。王莽の乱にあって凶作の年に、桑の実を拾い、別々の皿に盛った。赤眉の賊がこれを見て蔡順に何をやってるのかを聞いた。蔡順は、黒く熟れたのは母親に差し上げて、赤くまだ熟れていないのは私が食べるのですと答えた。賊はその孝行の心に不憫になり、白米三斗と、牛の足十組を与えた。

扇枕温衾

後漢の黄香は九歳の時に母を失い、母を思慕する事甚だしく、村の人たちはその孝行の心を褒め称えた。自ら働いて父親に仕え孝行であった。夏の暑い時には父親の枕を扇であおいで涼しくし、冬の寒い時には、自らの体温で布団を温めた。太守の劉護は掲示をだしてこれを褒め称えた。

涌泉踊鯉

漢の姜詩は母親に仕えて非常に孝行であった。妻の广<龍7757氏は姑に仕えて非常に慎み深かった。母は江水の水を飲むのを好んだ。そのため、妻は江水まで出かけていって水を汲んでは姑に差し上げていた。また、魚の膾を好んだ。そこで、夫婦は常に膾を作って母親と一緒に食事をした。すると、たちまち泉が湧いて、その水の味は江水と変わらなかった。また、毎日二匹の鯉が飛び出してきた。そこで、この鯉を捕って母親に差し上げた。


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