賣身葬父

漢の董永は家が貧しく自分の身を売って父の葬儀をあげた。自分の借金を返すために道を行くと一人の婦人と会い、妻に娶った。二人で主人の家に行くと、沙羅の布を三百匹織るように命じられた。一月で完成させると帰途についた。二人が初めて会ったところの槐の木陰にくると、妻は永の別れを告げた。妻は、天女であった。孝行の心は天の神をも動かした。

鹿乳奉親

周の炎|刀1939子は、至って孝行な性格であった。父母は年とって共に目を患った。鹿の乳を飲みたいと言ったので、炎|刀1939子は鹿の皮を身にまとい、深い山に入っていき、鹿の群れの中に交じり鹿の乳を取って親に与えた。狩人は炎|刀1939子を見てこれを射殺そうとした。炎|刀1939子は父母が鹿の乳を必要としている事を訴えて、射殺されるのを免れた。

行傭供母

後漢の江革は、若い内に父を亡くし一人で母と暮らしていた。内乱に遭い母親を背負って難を逃れた。盗賊に遭い、江革から物を奪おうとした。江革は年老いた母がいると泣いて訴えた。盗賊は殺すにしのびず許した。その後下丕|邑6588に移ったが相変わらず非常に貧しく、裸同然で暮らし、はだしで人に雇われて母に供した。母は必要と思われる物がないと言う事がなかった。

懷橘遺親

後漢の陸績は六歳で九江で袁術に謁見した。待っている間に橘の実が出たので陸績は二枝の橘の実を懐に入れた。帰る段になって挨拶のためにお辞儀をすると、懐に入れた橘の実が地面に落ちた。袁術は、「陸の小倅は賓客となっても橘を懐に入れるのか」と言った。陸績は膝まづいて「私の母は橘の実を大好きなので帰って母に贈ろうと思います」と答えた。袁術はこれを大いに褒めたたえた。


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