脱簪待罪

周の宣王がある時遅く起きてきた。姜后は簪と耳飾りがはずして永巻の監獄に入っていた。姜后は女師を使いにやり王に「王様は色を楽しんで徳を忘れています。礼に『遅く起きれば乱が起きる』とあります。乱は私から始まるのでしょう。そこで、裁きを監獄で待っています」と言わせた。王は「ああ、私の不徳であった。本当に私の過ちから生じたものだ。后の罪ではない。」と言った。この後政事に励み早朝に起き、遅くまで仕事をした。そして、周の国の中興を成した。

引豹諌夫

戦国の陶荅子は大夫となること三年、家は三倍に富み、名声も得た。妻は「私は、南山の黒豹はその毛皮を美しくするために霧雨の中で七日間何も食べずに毛皮を潤すと聞いています。豚は何でも食べてよく太りますが、すぐに殺されてしまいます。今、あなたは富をむさぼり将来の患いを全く顧みようとしていません」と言って諌めたが陶荅子はその諌めを聞かなかった。その後、果たして陶荅子は誅殺された。

正被而歹|僉3814

黔婁先生が亡くなった。遺体を覆う布が小さく、首を覆おうとすると足が出て、足を覆うと首が出てしまった。曾西は、「斜めにして覆って葬儀をしよう」と言った。黔婁先生の妻は「斜めにして布を余らせるより礼義に従って正しく布を掛けて足が出る方がよろしい」と言った。曾西はその言葉が正しく、賢明である事に敬意を表して礼をして去った。

援琴而鼓

春秋の莊公が艸/呂5608を襲い、艸/呂5608の大夫の杞梁は戦死した。その妻の孟姜は柩を道路で迎えて「上には父無く、中には夫無く、下には子供がいない。私は何に節義を立てていけばいいのだろうか。」と嘆き、琴を弾き鼓を打ち終えると水|(巛/田)3953水に飛び込んで死んだ。孟子は杞梁の妻は夫を嘆き国の風俗を貞潔なものにした。これこそ良い嘆きであると言った。

作詩自誓

衛の世継ぎの共伯は若死をした。共伯の妻の共姜は夫なき後も堅く貞操を守っていた。共姜の母親は、共姜を攫って他の家に嫁がせようとしたが共姜は柏舟の詩を作って自殺した。自分に誓って言う事には「母が育ててくれた恩は天の如く極まりがありません。それなのにどうして私を略奪しようとするのか。私の心は死んでしまったとしても他に夫などいないのに」とあった。

作歌自絶

秦の女の羅敷が陌上で桑の葉を摘んでいた。王はこれを見て喜び、誘拐してしまおうとした。羅敷は「陌上桑の歌」を作り弾いた。「桑を城の南の隅で摘んだ。五頭の馬がやってきて周りをうろうろしている。」王は羅敷に謝り一緒に乗らないかと誘った。羅敷は「既に申し上げていますのに。王様って愚かですのね。王様には妻がいらっしゃいますし、私にも夫がいますわ」といい、歌をやめて去っていった。

不顧黄金

秋胡子は妻を迎えて五日目に陳の国に仕えるために家を出て五年、初めて家に帰る時がやってきた。帰路、美しい女性が桑を摘んでいるのを見かけた。秋胡子は車を降りて「私は黄金を持っています。これをあなたにあげようと思うがいかがかな」と聞いた。「蚕を飼ったり、糸を紡いだりするのが私の仕事です。どうして他人の黄金を待っていましょうか。」と答えて怒って秋胡子の方を見ようともしなかった。秋胡子は非常に恥じ入ってそのまま帰路を急いだ。家に帰ると母親が妻を呼んできた。妻の顔を見ると、先ほどの桑摘みをしていた女性であった。妻は「スケベ心を出して金を捨て、親の恩を忘れたのですか。非常な不孝者です。あなたが他の誰かを娶ろうと勝手にしなさい。私はもうあなたに従う気はありません。」というと、河に身を投げて死んでしまった。

不棄惡疾

蔡の人の妻は宋の人の娘であった。既に嫁いではいたが夫が悪い病気に罹っていたので娘の母親は他の人の所へ嫁がせようとした。娘は「夫の不幸は私の不幸です。どうしてここを去れましょうか。人が誰かと結婚したなら終身他の人に嫁がないのが人の道でしょう。不幸にして悪い病気に罹りはしましたが道義に悖ることが原因でないのなら私は共に年老いるまで一緒にいます。どうして去る事がありましょうか」といって最後まで母親の言う事を聞かなかった。

舉案齊眉

孟光は字を徳曜といい、太っていて大層黒かった。三十になっても嫁に行かなかった。梁鴻は孟光が賢いと言う事を聞いて、孟光を娶った。孟光が着飾って家に入って七日間、梁鴻が一度も答えないので孟光はひざまづいて「あなたの志が分かりました。私にも隠居の服があります」と言って麻布の裾に、いばらのかんざしを挿した姿に着替えてきた。梁鴻は「これでこそ、真の梁鴻の妻である」と言った。梁鴻の家は貧しくて皐伯通の軒先きを借りて手間賃を取って米搗きをしていた。孟光は食べ物を梁鴻に持って来る度に必ず食器を眉の高さまで捧げて夫を敬う礼を行った。ある時唐の肅宗がこの話を聞いて召し出そうとしたが二人は名前を変えて齊と魯の間のどこかに隠れてしまいついに行方が分からなくなってしまった。

引斧断臂

五代の王凝は((孚-子)/寸)|虎5834州の司戸の役人となったが、病気で死んでしまった。家は貧しく、子供は幼いので王凝の妻の李氏は子供の手を引いて夫の亡骸を背負って実家に帰る事にした。開封を過ぎるときに宿屋に泊まろうとしたが、宿の主人は亡骸を背負っているので宿の中に入る事を拒んだ。日が暮れても李氏は敢えて去ろうとしなかったので宿屋の主人はその臂を引っ張り外に追い出そうとした。李氏は天を仰いで嘆いて「私には身を守るすべさえないこの手は人に取られる所なんだろうか」というと、斧を出して自分の臂を切り落とした。周りで見ていた人はこれを見て悲しく、涙を流さない者はいなかった。開封の長官はこの事を朝廷に報告すると、朝廷は李氏を哀れんで厚く救恤し、宿屋の主人はむち打ちとなった。

祭夫持首

漢宋の孫翊は丹陽の長官となったが都督の女|爲2614覧の謀略で殺された。女|爲2614覧は孫翊の妻の徐氏を娶ろうと迫ったが、徐氏は「月末には夫の喪が明けますので、それから命令に従います」と言った。徐氏は、密かに夫の昔の部下の孫高等をはじめとして、二十余人と復讐の誓いを立てた。月末になって夫を祭る祭りが終わると徐氏は笑い声がまじり落ち着いた様であった。女|爲2614覧はこの様を見て、自分の所に嫁に来る事を全く疑いもしなかった。そこで、拝礼をするために中に入ると徐氏は大声で孫高等たちを呼び、一緒に女|爲2614覧を殺した。徐氏は女|爲2614覧の首を持って喪服に着替えて夫を祭った。

却父断鼻

梁の夏侯令の娘は曹文叔の妻であった。曹文叔は夭折し、自分も若く子供もいなかったので曹文叔の妻は自分の実家から他の家に嫁にやろうと強いるに違いないと恐れた。そこで、髪の毛を切り嫁に行かない誓いとしたが、その後、果たして実家から他の家に嫁にやろうとした。曹文叔の妻はその話を聞くとすぐに刀を出して自分の両方の耳を切り落とした。曹家の者が皆亡くなった頃夏侯令は大臣となった。夏侯令は人をやって「夫の家は既に滅び、夫の家を守るために辛く、苦しい生活を誰が望んだと言うのだ」と言わせた。曹文叔の妻は「義と言うものは存亡で心を変えるものではありません。曹の家が盛んだったときは長い付き合いをしようとし、今の様に衰亡するとこれを捨てると言うのは動物のする事です。私に何をさせようとするのですか」と言うと寝室に入って刀で鼻をそぎ落とし服をかぶって倒れた。その血が床一面に流れ夏侯令の家中のものは皆驚き恐れてこれを見て哀しんだ。

荀氏自縊

荀釆は荀爽の娘である。陰瑜に嫁いでいたが、陰瑜が死んだ後も操を守っていた。荀釆の父毋は荀釆に他の家に嫁に行く事を強制した。そこで、きれいに着飾らせ、灯りを設けて言いあい、他の人は敢えて近付こうとしなかった。翌日、沐浴のための目隠しを設けると、白粉で扇に書き、侍女に与えて「死体となって陰瑜の元に参ります。一緒に埋葬して下さい」と言うと、扉を閉めて開ける事を拒み、中で首を吊って死んだ。

韓妻自殞

康王が大夫の韓明の妻が美人であるのを見て韓明の妻を奪った。そのため韓明は自殺した。韓明の妻は夫が自殺したので自分も高台から飛び下りて自殺した。韓明の妻は「願えるのであれば遺体となって夫の元に帰り、一緒に埋葬して下さい」と書いた遺書を帯の間に挟んでいた。康王は怒って二人の墓を離して互いの墓が見えるように作らせた。しばらくたつと二つの墓の上に梓の木が生えてきて、そのうちに二本の木の枝が繋がり、根もお互いに交わりあった。その木には鴛鴦の様な鳥がいて朝晩悲しい声で鳴いた。人々は韓明夫妻の魂が生まれ変わったものであろうと言った。今の鴛鴦は、二羽並んで遊び、寝る時には羽をお互いに繋ぎあう。もし、一羽を捕らえればもう一羽もついてきて、死ぬ時は二羽同時である。この鳥は詩経に言う関雎である。

盧氏剔目

唐の房玄齢は中書令の位であった。房玄齢が病気になったとき妻の盧氏に「私の病気は良くならずに死んでしまうだろう。私が死んだ後お前が一人で後家暮しをすると言う訳にも行かない。お前は再婚して、その夫となる人によく仕えておくれ」と言った。盧氏は泣きながら刀で自分の目をえぐり出して他の人に嫁ぐつもりは全くない事をしめした。その後房玄齢の病気は治り夫婦はお互いに死ぬまで敬いあった。

董氏署帛

唐の賈直言が嶺南に流される事になった。賈直言は妻の董氏に「私がこの後死ぬか生きるか全く分からない。私が死んだらお前は他の人の所に嫁に行ってくれ」と言った。すると、董氏は自分の髪の毛を繩で結び、布に「私の手でなければこれを解かない」と賈直言に書かせた。賈直言が流されて二十年後に戻ってくると、その布は昔のまま董氏の髪にあった。

小娥祝髪

明の謝小娥は假-人2061居貞の妻であった。假-人2061居貞と、謝小娥の父親は共に商人であったが盗賊の申蘭、申春に殺されてしまった。謝小娥は男の衣裳を着て男に化けて申の家に下働きとして潜り込んだ。盗賊団が酒を飲んで宴会をし、申蘭、申春も酔っぱらって寝込んでしまうと、謝小娥は戸を閉じて申蘭の首を切り落とし、大声で「盗賊を打ち取ったぞ」と叫んだ。村人たちは、その声を聞いて集まり申春を捕まえ、他に一万人以上の盗賊を捕まえた。謝小娥は亡き夫と父に復讐を報告し終わると髪を剃って尼になった。

李氏断髪

唐の鄭廉の妻の李氏は十七歳で嫁いできた。ところが、結婚して年も明けないうちに鄭廉は死んでしまった。李氏は喪の期間は礼を尽くして粗末な服と粗末な食べ物で過ごしていた。ところが、ある夜一人の男性が求婚してきたのを断る夢をみた。その後もしばしば同じ様な夢を見たので李氏は自分の容貌が若く美しく衰えていないので魂が結婚する事を望んでいるのであるからだと考え、すぐに髪の毛を切って、飾りのない麻の服を着て、顔を洗わず肌に埃がつくままにした。その後再び夢を見る事はなくなった。郡の刺史の白大威は、李氏の貞淑な事を喜んで堅貞節婦と呼び門の前にのぼりを建てた。

賜廟榮封

宋の端平三年、榮全が高郵を本拠として反乱を興した。さて、榮全が宴会のために芸妓の毛惜惜を召して酒の相手をさせた。しかし、毛惜惜は「この小役人が朝廷にどんな貸しがあると言うの。私は、死んでもいい。朝廷に逆らった反逆者に酒の酌をすることなんてできない」と言った。榮全は怒って刀で毛惜惜の口を切り落としてその場で細切りにしたが、死ぬまで罵りをやめなかった。後に英裂夫人に封じられ、廟と祭を賜った。潘紫岩の詩に「酒を注ぐ艶やかな芸妓毛惜惜。細い眉は万人の喜ぶ所。恨めしく思うのは、匕首を秦の女が学ぶ事がないこと。袋をかぶった頭で果卿を真にす。骨も花の顔も今は城下の土となった。氷の魂と、雪の魄は長く知られる名となった。今も昔も恨む所は無いが金を巡らせて歌い、舞い、一生を過ごす」


souketsu@moroo.com