從父所制

魯の国の顔氏に、二人の娘がいた。孔子の父の叔梁糸|乞5144が、娘を嫁に貰う事を求めた。娘の父親は、「陬大夫の父祖に仕えてきました。誰がこの人に仕えますか」と聞くと、下の娘の徴が「お父さんの決めた所に従います」と言った。そこで、父親は「よし、お前が嫁げ」といい徴が叔梁糸|乞5144に嫁いだ。徴は子供を生んだが、これが後の仲尼大聖人、すなわち、孔子である。

奉父所教

齊にうなじに大きな瘤のある女がいた。家が貧しく嫁に取ってくれる者もいなかったので三十過ぎても独身であった。齊の閔王が遊びに出かけ都の東に至った。人々は皆走って閔王を見に行ったが、その女一人だけはいつも通り桑摘みをしていた。そこで、王はその理由を問うと「父毋に桑を採る事は教わりましたが、王を見に行く事は教わりませんでした」と答えた。王は「めったにいないすばらしい女性である」と言って、この女を招き、嫁にした。

分光夜績

齊の女の徐吾は隣家の女と明かりを分け合って糸紡ぎをした。徐吾は貧しくて明かりを追加する事ができなかった。そこで、隣家の女は一緒に糸紡ぎをしなかった。徐吾は「私は貧しいので常に先に来て後から帰り、席も準備しあなたが来るのを待っています。座る席は常に下座ですが、これは貧しいためです。今、部屋の中に明かりを点しているのであれば、一人だけの利益としても、暗い所ができる訳ではありません。私一人が去っても、明かりに何の利益がありましょうか。どうして、東の壁を照らす光を惜しむのでしょう」と言った。そこで、元の様に二人で糸紡ぎをするようになった。

肅聲治饌

晋の李絡秀がまだ独身のとき、安東将軍の周俊が狩猟に出かけて雨に合い李絡秀の家に雨宿りに訪れた事があった。あいにくと李絡秀の父も兄も不在だったので、李絡秀は数十人の食事を用意し並べておいた。周俊が家の中に入ると、非常に丁寧に作られた食事が用意されているにもかかわらず人の声が全くしなかった。周俊はこれをめったにない事だと思い、李絡秀を招いて妻とした。李絡秀は豈|頁7217、嵩、謨の三人の子供を生み、皆偉くなった。

竇女二節

唐の永泰年間に、盗賊数千人が奉天の村を略奪にしに来た。奉天に住む竇氏の二人の娘は長女が十九歳、次女が十六歳で二人とも美人であった。岩の穴に隠れていたが盗賊に見つかって引きずり出された。姉は「私は辱めを受けない」と言って数百尺ある崖から飛びこんで死んだ。盗賊は驚いたがその妹も続いて飛び込み足を折り、顔をぶつけて血を流した。そこで、盗賊は二人を捨てて去っていった。都の尹である第五玉|奇4411は、その貞節を守った事をよしとして、皇帝に奏上し、竇氏の家の門にその旨を表記した。竇氏の家はその後長く労役を免除された。

巣女一節

巣氏の娘で武進は河庄の人である。幼い時に心|軍3019氏の子供と結婚する約束をした。心|軍3019氏が亡くなると娘は喪に服した。続いて心|軍3019氏の子も亡くなった。すると娘は喪のために櫛も使わず、顔を洗う事もしなくなった。更に、飲食もしなくなってしまった。娘の父母は別の結婚相手を捜して嫁がせようとしたが、娘は「私は一つの体で二人に嫁ぐのを忍ばなければならないのでしょうか」と言い座ったまま首をくくって死んだ。河庄の州の長官はこの貞節ぶりを褒めた。

胡女截耳

明の永樂十六年に大学士の鮮縉と胡廣が文淵閣で皇帝に仕えていた。皇帝は、「鮮縉と胡廣は若くして同じ学士となり、同じ官職についた。鮮縉には男の子がいるな。胡廣の娘を妻にするといい。」と言った。胡廣は頭を伏せたまま「私の妻は妊娠していますが未だ男女いずれとも分かりません」と言った。皇帝は「女を生むに決まってる。疑ってはいけないぞ」と言った。数カ月して果たして女の子が生まれた。そこで、盟約を結んで二人を結婚させる事とした。その後、讒言により鮮縉が処刑された。そこで、胡廣の親類は娘を別の所に嫁がせようとしたが、娘は穴に入り込んで刀で耳を切り、その血で頬を濡らし、泣きながら「私の結婚は皇帝陛下の取り仕切りで決まりました。父上もこの結婚を了承し、死ぬまで変えないと言う盟約まで結びました。もし、主君の命令に背き、父にも背いたとしたら、どうして生きていけましょうか」と言った。数年して鮮縉は許され胡廣の娘は鮮縉の息子に嫁いだ。鮮縉の息子の禎亮は姑の徐氏によく仕え孝行であった。

吏女刺面

漂陽の吏一族は忠臣の医官であった。吏氏の娘で幼いときから書物を知り、動作は作法に適う者がいた。その娘は荊渓の竹林に住む郤氏の子の一龍に求婚され結婚する事となった。ところが、結婚式を挙げる前に一龍は病気で死んでしまった。そこで、媒酌人が娘の父親に他の人に嫁がせる事を勧めた。娘がその事を知ると、母親に郤氏の家に連れていき、夫の霊を祭る様に頼んだ。そこで、礼服を整えて母親と連れ立っていって祭を行った。祭が終わると姑の寝室に入り、扉を閉めた。鏡に向かい小刀で両の頬に「終身不改」の四文字を彫り込み灯の煤を塗って入れ墨とした。姑と母は中で何をやっているかを知らなかったが、戸を開くと流れ出た血が項にたまっていた。娘は泣いていて何も喋らなかったが、姑の家に留まりそのまま住む事となった。甥を養子としてとり、跡継ぎとした。養子が大きくなり嫁を娶り孫を生んだ。嫁は姑の吏氏の娘によく仕え孝行であった。呉じゅうの名士は競って詩を作り吏氏の娘を褒めたたえた。皇明萬暦の初め撫按はこれを褒めて幟を立てた。皇帝の命令で坊を建てその家の労役を免除し、毎年布と穀物を終身賜った。


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